天才 柴田是真
わたしが是真の作品と出会ったのは、芸大で漆芸を学んでいた友人の「とんでもない才能がいる」の言葉と、一緒に見せられた展示のフライヤーに載っていた作品のデザインがあまりにかっこよくて、この人の作ったものをもっと見たい!という思いに駆られて出掛けた、相国寺の承天閣美術館でした。
そこで是真の作品を見たときの衝撃は忘れられません。
軽妙洒脱とはよく言ったもので、モダンなデザインと、様々な質感の取り合わせと、洒落ていて楽しくて、豪華で大胆で、繊細。
是真の感性が羽ばたいている、あれもしたいこれもしたい、こんな表現はどうだろう、この組み合わせは美しいだろう、そんなとめどなく湧き出る創造のエネルギー。
それをバシバシと感じてしまうのです。
何よりも感動、いや感激さえしてしまうのは、その頭の中に思いついてしまう様々なイメージを、完全に形ある表現として作品にする是真の技術力です。
月明かりの夜、ススキの葉の上に、蟋蟀がそっと乗っている。
秋虫の鳴き声が聞こえてきそうな美しい幻想的な夜の様子です。
その蟋蟀がなんとも生きているような、そんな蟋蟀で、肉眼ではわからないけれども、虫の産毛までが表現されているそうで…
現代の名工の技術を持ってしても、そんな100分の1mmの是真の表現は再現できません。
肉眼ではわからないけれども、言われなければわからないけれどもこだわる。
そのこだわりがあって、是真の作品からはものづくりに対する振り切ったエネルギーが発せられています。
是真発案の紫檀塗り、砂張塗りといったフェイクの技術があります。漆の塗りで木材の紫檀や、金属の砂張を完全再現するというもので、これが本当に本物そっくりなんです。
よりリアルに見せるために、傷や錆の表現もされていたり。
紫檀かと思って、触れて持ち上げると軽い!騙された!という可笑しみを楽しむのが粋だったのでしょうか。
わたしが是真の世界に触れて感じたのは、思いついた、やってみようか、やってみる、もっとやってみる、更に突き詰める、納得いくまでやってみる、そこまで頑張ったら描いた通りのものができた、ニンマリ。
そんな是真のイメージです。
是真は天才で、とんでもないものづくりオタクだったということは間違いありません。
類稀なるセンスと発想力、技術者として磨き続けた、最高峰の才能。
是真の作品は残念ながら江戸大火で多くのものが焼け、あまり残っておりません。
そしてそのデザイン性から国内よりも海外での評価が一段高く、残っていても海外に流出してしまっているものも多いのです。
日本国内に残る作品が少ないのも、柴田是真を知る人ぞ知るに至らしめている要因でしょう。